私が笑いを届ける理由  久が原落語友の会『くがらく』主催 新免玲子さん 5,000字インタビュー

飲み屋の隣の八百屋跡で

 南久が原にある居酒屋の隣の八百屋跡地。奥に防空壕が遺る古い建物。床は当時のままの土間。そこにパイプ椅子を並べて小さな落語会が開かれた。今から3年前の4月のことだ。

 

「壁に知り合いから借りた黒とオレンジと緑の縦じまの幕を垂らしました。奥にテーブルを置いて即席の高座を作ったんです。高座と言っても目線はお客さんと大して違いません。居酒屋のママに借りた「嫁入り布団」が座布団代わり。そこに噺家さんに座ってもらいました。不思議なもので、それだけ用意すれば、古い八百屋が立派な落語会場になるんですよ」

 

居酒屋さよりと、会場となった八百屋跡
居酒屋さよりと、会場となった八百屋跡

落語会を主催した新免玲子さんの目が輝いた。落語会当日は居酒屋の常連やスタッフで会場はいっぱいになった。

 

  「20名ちょっとで、ぎゅうぎゅうぱんぱんだったんです」

身動きが取れない状態だったが、小さな会場は終始笑いに包まれ、落語会は無事に終わった。これが今や120名以上の観客を集める、久が原落語会『くがらく』の第1回目の様子だ。

八百屋を営んでいた鈴木京子さん。第1回くがらくのことをよく覚えていると言う。買い物カートの下が防空壕だった。
八百屋を営んでいた鈴木京子さん。第1回くがらくのことをよく覚えていると言う。買い物カートの下が防空壕だった。
八百屋跡が見事に落語会場に。
八百屋跡が見事に落語会場に。

『くがらく』の主催者は新免玲子さん、現在55歳。本業は保育士である。

『くがらく』は「久が原で落語」、そして「笑って苦が楽になる」という意味がこめられている。

 

彼女が落語会『くがらく』を始めようとしたきっかけは何だったのだろう。取材を進めるうち、思いも寄らなかった彼女の壮絶な人生と、彼女の経験した「苦」を聞くことになった。

先天性の病気を持ち産まれる

 玲子さんが産まれたのは、青森県鰺ヶ沢市。秋田犬で人気の『わさおくん』が暮らすことで知られた場所だ。母の実家は寺で、玲子さんはそこで産まれたという。日本海が近く、夏休みなどは海でよく遊んだ。

 

 

「今でも海といえば日本海の海が好きです。暗さというか独特の蒼さがいい。ハワイのような太陽サンサンの明るい海には魅かれないんです。私って根が暗いのかもしれないですね」

笑いを届ける落語会の主催者に似つかわしくない心の内の吐露に、少し戸惑う。さらにその口から、壮絶な生い立ちが語られていく。

 

 

「私は『口唇口蓋裂』という病気を持って生まれました。顔に傷を持ち生まれたんです。女の子でしたし、父が不憫に思い、生まれた翌日、青森市内の病院に向かう途中、一緒に電車に飛び込もうと思い詰めたようでした」

 

ぎりぎりの所で踏みとどまった玲子さんの父親は、当時、その病気のエキスパートだった東大病院の塩谷医師に手紙を書き、最新の治療を求め東京に向かった。

 

「塩谷先生に診てもらえたことはとても幸運でした。治療は何年にも渡り続きました。手術を繰り返して……。その度に母が青森で幼い妹と弟の面倒を見て、私は父と上京しました」

 

父からの影響は大きかった

玲子さんの父親は地元の新聞社の記者だった。新聞の顔ともいえるコラムを任されていたほどのエース。その傍ら画家としても活躍、音楽への造詣も深い人だった。一緒に過ごした時間の長さゆえ、玲子さんは父親の影響を大きく受けて育つ。

 

「手術で上京する度に、父は私を上野の西洋美術館や銀座の画廊に連れて行ってくれました」

絵画を鑑賞しても、幼い頃見た日本海のような蒼く、暗い雰囲気のものに魅かれている自分がいたという。

 

 

父娘での上京は、玲子さんが中学3年生になるまで続いた。父は玲子さんと共に病気と向き合い、常に心の支えになっていた。

「環境が変わる度に随分いじめにもあいました。その度、父は『本人がどうにでもできないことを笑ったりするのは心の貧しい人だ。相手にするな』と言ってくれました。その言葉に何度も励まされ、いじめが原因で学校を休むことは一日もありませんでした」

 

上京 久が原に住む

久が原駅前の商店街。ここを歩いていくと「さより」や「鵜ノ木八幡神社」がある。
久が原駅前の商店街。ここを歩いていくと「さより」や「鵜ノ木八幡神社」がある。

高校を卒業したら上京する、玲子さんはそう思っていたという。

「何度も滞在した東京です。『水が合っている』と感じていました」

 

大学の寮があったのは池上線の久が原だった。寮の管理人さんが可愛がってくれて、久が原という街をとても好きになった。自身の病気のこともあり、結婚をし子供を持つ未来を描いてはいなかったという玲子さん。だが、

「もし、そういう機会が訪れたら、私は家族と久が原に住みたいと思ったんですよ」

心のどこかでその時から久が原が「運命の土地」となっていた。

 

大学卒業後は保育士として充実した日々を過ごしていた。

 

 

結婚 久が原に家を買う

ご主人とは二十歳の時から付き合っていた。結婚は頭に思い描いていなかったが、玲子さん28歳の時、ある事件が起きる。ご主人と二人で共有していた車にトラックが衝突、車は大破した。玲子さんは3か月入院する重傷を負った。「共有するものがなくなった時に、この人とずっといたいという思いが強くなりました。それで、『あなたのご両親に会いたい』と私から言ったんです」

 

玲子さんに先天性の病気があったことが分かると、彼のご両親は反対したという。

 

「当たり前の親心だと思います」

 

しかし、ご主人は毅然と言ったという。

 

「玲子と同じ病気を持った子供が生まれたら、自分は玲子のお父さんがやってきたことと同じことをその子にする」

 

二人は結婚し、翌年には男の子が生まれた。大田区内を数回引っ越し、一家は玲子さんの「運命の場所」久が原に家を買うことになるのだ。

生きる気力を失った日々

結婚出産後も仕事を続け、穏やかに時が流れた。しかし2014年、玲子さん51歳の時、検診で子宮頸がんを患っていることがわかる。

「一つ一つの検査が恐怖で吐きそうなるほどのすごいストレスでした。身体的にも、精神的にもきつかったです」

幼少期に病気に対峙した玲子さんでさえ立ち直れない日々が続いた。

「なんとか仕事に行くことはできましたが、本当にしんどい日々でした。色々と考えさせられました」

  

落語との出逢い

落ち込む日々。その様子を見かねた先輩が、ある日、玲子さんを落語に誘ってくれた。きちんと落語を聞いたことがなかった玲子さんにとって、これが落語との出逢いとなる。

 

「気がついたら笑っている自分がいたんです。もちろん落語そのものがおもしろかったからということもありますが。何か、もっと違う大きなものを落語が私に与えてくれたんです」

 

時が動き出すのを感じたという。その後何度も寄席に通い、ついには落語の脚本を書く講座にも通いだすほどに夢中になった。

『くがらく』の結成

「落語に出逢い、笑顔を取り戻した」それだけなら、多くの人が経験しているのかもしれない。しかし新免玲子という人は、地元久が原で、落語会を結成してしまうのだ。彼女が運命と感じた久が原にある居酒屋で「落語会を開きたい」と話すと、常連たちが「お手伝いするよ」と集まってくれた。

こうして『くがらく』が結成された。2015年のこと、玲子さん52歳の時だ。

スタッフ全員が尊敬すべき人たち

結成後3年間で、すでに14回も落語会を開いてきた『くがらく』。

 

第2回から第9回までは、鵜木八幡神社の社務所を借りた。定員70名。第10回から120名入る今の久が原会館に場所を移した。お客は地元の人だけでなく、玲子さんがSNSで知り合った遠方からの人もいた。

第5回から、噺家のインタビューが掲載されたチラシを制作。マーケティングプロデューサーの三浦琢揚さんに依頼した。三浦さんとは池上の落語会で知り合い、玲子さんが落語の脚本を書く教室に引っ張っていった時からの付き合いだ。

この教室から『くがらく』のスタッフに誘った人も多い。前の職場の同僚も引っ張ってきた。

 

「私は落語会を開催するノウハウは持っていませんでしたが、自然に『くがらく』の形ができあがっていきました。誰かに動かされているような……」

スタッフは様々な方面で仕事をしている人たちだ。皆、自分の役割をよく分かっている。「落語会当日の動きも無駄がないんです。もちろん事前の打ち合わせや反省会も行います。それぞれ意見は言うけれど、押し付けない。全員が『くがらく』を俯瞰して見ているような感じなんです。ユーモ

アがあって、人を悪く言わない。大人の集団なんですよ。尊敬すべき人たちです」 

 

実際『くがらく』開催の際は、駅に道順を記した紙を持って立つ人、玄関にて客を迎え靴を整理する人、玲子さんと一緒に受付で接客する人。撮影担当、音響担当、お年寄りを誘導する人……とスタッフそれぞれが無駄一つなく動いている。お客が座るパイプ椅子には発泡スチロールのクッションが置かれている。それもスタッフのアイデアだ。

スタッフ延べ15名。会社経営、保育士、事務職、SE、演芸作家、建築業、NPO法人職員といった仕事のかたわら、くがらく運営に携わっている。
スタッフ延べ15名。会社経営、保育士、事務職、SE、演芸作家、建築業、NPO法人職員といった仕事のかたわら、くがらく運営に携わっている。

新免玲子だけが担う役割

 高座に上がる噺家は、玲子さんが一人で探してくるという。旬を逃さないよう寄席に

何度も足を運ぶ。この時だと思ったら、逃さずオファーするためだ。

「そこだけは誰にも相談しません。私の責任で、私から出演依頼をします。スタッフには事後報告です。皆、信頼してまかせてくれています」

第14回くがらく 噺家 春風一刀さん
第14回くがらく 噺家 春風一刀さん

落語会の予約の電話、メールやハガキの窓口もすべて新免さん一人が担っている。そうすることで予約してきた人のエピソードなどを記録しておくことができるからだ。

「遠くから来てくださって有難うございます」「〇回目にも来てくださいましたね」

と当日、入り口で声をかけることを大切にしている。

 

「お礼のメールやハガキもすべて私が書きます。『くがらく』は今、お客様が増えて2部制にしないかと言われることもあるんです。でも、それでは私一人でこの役割を担いきれないと思っています。お客様の顔を覚えることって大切ですから」

 

 『くがらく』を結成したころは、誰かに動かされているような感覚だった玲子さん。今は会を運営することの責任、客やスタッフへ何ができるかを考える日々だという。商店街の集まりに積極的に顔を出し、区が主催する様々な講座にも参加している。

 

第15回『くがらく』まもなく開催

6月30日(土)、いよいよ第15回『くがらく』が久が原会館で開催される。2月には高座用の布団を新調した。身の引き締まる思いだと玲子さんは言う。

 

彼女をそこまで突き動かすものは一体何なのか?

 

「生まれたばかりの時、父と一緒に死ななかった時点で、私は人生の不幸を全て終わらせたつもりです。それでも辛いことはありました。そんな時、家族や友達、職場の人に支えられて生きてきた。そして落語と出逢い、救われたんです。だからこれからは私が笑いを人々に届けたいのです」

 

 落語に出逢っていなかったらと問うとそれまで饒舌に語っていた玲子さんの言葉が止まった。失った言葉に込められた玲子さんの想いに気持ちをはせつつインタビューを終えた。

 

彼女が渾身の力を込めて届ける笑い。

 

皆さんもぜひ『くがらく』で、落語を見て「苦」を忘れ、「笑顔」になってみてはどうだろうか。

 

 

 ライター YasukoOmiya

写真提供 

 くがらく 

 城南タイムス


第15回 くがらく

噺家 三遊亭わん丈

日時 2018年6月30日(土)  開場18:30 開演19:00

会場 久が原会館(大田区久が原2-7-17) 地図

     池上線久が原駅下車 ライラック通りから徒歩12分/出世観音バス停から2分

木戸銭 1,500円

ご予約・問い合わせ

090-4824-9243(留守電の際は折り返し連絡)

メールアドレス rakugo@miura-re-design.com

ホームページ https://kugaraku.jimdo.com/

 

 


 

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